電話番号 資料請求はこちら
電話番号 資料請求はこちら

50年の歩みの紹介

福建労大牟田支部の結成は1965年(昭和40年)3月に、10年前に創立された福建労の本部の指導を受けて、大牟田地区の建設職人・労働者にも、健康保険と労災保険の適用をと、結成総会に13人の先輩たちが集まって結成されました。

結成と同時に、日雇い健康保険の交付と労働保険の事務組合の認可を受け、職人も団結すれば、自分たちの要求を解決することが出来るんだと、肌身をもって知ることができ、「福建労にはいると初診料50円だけでよか保険があるバイ、」「仕事しよってケガしたとき、労災保険が使われるバイ」と広がり、翌年には173人の組織に発展しました。

1967年には、組織も300人を超え書記局体制の強化も図られました。この年、健康保険改悪反対運動のさなか、社会民主主義の手によって分派・分裂運動がおきましたが、全県の仲間の支援を得て、当時の支部長・書記長を解任し、分裂活動を最小限に食いとどめることができました。分派・分裂活動で喜ぶのは、時の権力者であることは、この大牟田で、60年安保、総資本と総労働として闘われた三池大闘争の中で、第2組合がつくられて行った結果からも明らかであります。

要求なくして闘いなし、闘いなくして勝利なし、と言われるように、福建労はこのような分裂攻撃に打ち勝ち、仲間の要求を基礎にした闘い、運動をおこなって1970年には、800人近い組織に成長しました。

しかし、時の政府は日雇い健康保険改悪案が全国の仲間たちの運動によって廃案になると、報復処置として、日雇い健康保険犠牲適用の廃止を強行しました。

我々の先輩たちが、自らの要求として闘いとり、守り育ててきた健康保険をとりあげました。この日雇い健康保険を中心に、組織を強化拡大してきた大牟田支部の組織は半減し、それから毎年減り続け1975年(昭和50年)には100名台にまで落ち込み、専従者も置けなくなる状態になりました。

このように50年を振りかえれば、様々な困難の連続でしたが、「闘いの歴史には一歩前進・二歩後退の時もある」「福建労大牟田支部を結成した目的は何なのか」「健康保険を含め、職人の要求は山ほどある、あらゆる要求の実現には組合なしでは出来ないのだ」とその都度原点に立ち返り、頑張り、困難を乗り越え、1981年(昭和56年)には専従体制を復活させ、自前の事務所も持つことが出来、今日1000名を超える大牟田地区における民間労組では一番大きな組織に発展させてきました。

その原動力は、なんといっても、地元の仕事は地元の職人へのスローガンの下、「住宅デー」を展開ししながら「小規模工事登録制度」や「住宅リフォーム助成制度」を創設させるなど、仕事確保の運動や賃金引上げ・労働条件改善の運動、税金申告指導や税制民主化の運動、中建国保を始めとする健康を守る運動。反動政治に対する各種の改善・反対運動など、仲間の多面的な要求を取り上げ、政党支持の自由を保障し、組合民主主義を固く守り、福建労の旗のもとに全ての組合員と家族が一体となって、固く団結し、分会・班をつくり、運動に参加してきた結果であります。

今建設業界は大変な危機的状況です。3K(危険・きつい・汚い)とも5K(給料が安い・休日がない)ともいわれて将来に希望が見いだせないと若い人がこの業界に入ってこなくなっています。そのような状況下で政府はようやく賃金単価の基礎になる「公共工事の設計労務単価」の引き上げを15年ぶりに2013年4月と2014年2月に相次いで行いましたが、重層下請け制度の中で、現場で汗して働く者には一向にその引上げ額平均23%・3200円の引き上げが実施されておらず、今こそ公契約法(条例)の制定が不可欠であると運動をすすめています。

生命と健康の問題では、建設労働者職人の身体にアスベスト被害が蔓延しており、このアスベストによって仲間の尊い命を奪われ重篤な病におかされています。組合ではこの被害は労働災害だと労災認定と健康管理手帳の取得の取り組みとをおこない認定させ、取得してきました。合わせて危険な鉱物であると早くからわかっておって規制せず、危険性を知らせることなく使わせ続けてきた国と製造企業に対して「あやまれ・つぐなえ・なくせアスベスト」のスローガンの下、全国の仲間と連帯し、2011年10月に福岡地裁に提訴し、2014年11月に国の責任を認めさせる判決を勝ち取りましたが、全員救済でなく企業の責任を認めませんでしたので、福岡高裁に上告して闘っています。

これからも、建設現場に働く仲間の「仕事と暮らし」「いのちと健康」を守る運動を更に強め、未だ圧倒的に多い、未加入の仲間を全て組合に向かい入れて、明日の仕事、明日の暮らし、老後の暮らしを心配しないでいい、職人になって本当に良かった、建設産業に従事していてほんとうに良かったと言える、そんな建設産業と世の中を築きあげるために、がんばっていく決意です。

大牟田支部50年の歩み

65年(昭和40年)3月27日 13人の仲間によって大牟田支部を結成

4月/職人にも健康保険をと日雇い健保ギ制適用を交付、労働保険の事務組合の認可をとり、一人親方労災の手続き開始。(米、北ベトナムで北爆開始、朝永博士ノーベル物理学受賞)

画像1画像2


67年(昭和42年)7月未組織人員304人(大和支部20人)

2月/組合事務所一浦町に移転。

8月/分裂活動で集団脱退。分裂活動に打ち勝ち書記局体制を強化。組織は飛躍する。(美濃部東京知事誕生。佐藤首相訪米で羽田乱闘事件)


68年(昭和43年)7月未組織人員511人(大和支部17人)

5月/組合事務所明治町に移転。日雇健保新加入者ストップの攻撃。日雇健保改悪反対闘争で初の屋外集会を成功させる。(米原子力空母エンタープライズ佐世保入港。ケネディ大統領暗殺)

画像3


70年(昭和45年)7月未組織人員312人(大和支部31人)

5月/日雇健保ギ適廃止。日雇健保改悪反対闘争の中で組織は増え続け廃止当時の組織人員は799人、大和支部93人に飛躍していた。廃止とともに組織は半減する。

9月/国保組合(福健国保)を設立後組織は回復に向う。(大阪で万国博覧会。国産人口衛星打ち上げ成功。三島由紀夫割腹自殺)


73年(昭和48年)7月未組織人員251人(大和支部45人)

3月/国保組合(福建国保)を解散。組織は減少し続ける。新たな組織作り摸索。(オイルショックで買い占め品不足。金大中氏誘拐。関門海橋開通)


77年(昭和52年)7月未組織人員163人(大和支部39人)

組織数は最小に。組織体制の思い切った若返りを図る。青年部活動を再開。(王選手本塁打世界記録達成。原水禁大会14年ぶり統一)


80年(昭和55年)7月未組織人員255人(大和支部38人)

5月/6月の拡大月間で70名を拡大。79年 主婦の会を発足させ青年部と共に三位一体の活動が展開し始め、福建労に於ける組織活動の有り方が示された。中建国保に加入。250名達成祝賀会。(モスクワ五輪不参加。税理士法改悪。大平内閣不信任・衆参同時選挙)81年1月(昭和56年)1月より専従体制復活。

2月/大和支部(34人)と合併。(実質賃金初のマイナス。北炭夕張鉱でガス爆発。第2臨調が第1次答申)


83年(昭和58年)7月未組織人員395人

7月165㎡の新事務所落成。「県知事選勝利・仕事確保」総決起集会を労働福祉会館大ホールで開催し279名が参加、奥田革新知事勝利に貢献。(田中角栄に懲役4年の判決。衆議選で自民過半数割れ。NHKおしん放映〕

画像4


84年(昭和59年)7月未組織人員374人

第1回運動会開催、組合員家族507名が参加。木造建築士創設講習会開催。有明鉱大惨事。転職した仲間が殺される。15分会63班に班体制確立する。(記帳義務法等を強行。健康保険改悪9割給付に。臨時教育審議会を設置)

画像5


85年(昭和60年)7月未組織人員427人

大牟田市住宅センターを発足させる。分会数16に、班数75班に編成。(グリコ・森永事件似顔絵。豊田商事サギ商法で倒産。日航ジャンボ墜落)


86年(昭和61年)7月未組織人員494人

組織拡大月間で116名を拡大。500名達成祝賀会。分会数17に、班数76班に編成。(フィリピンアキノ政権誕生。衆参同日選挙で自民圧勝)

画像6


87年(昭和62年)7月未組織人員524人

「売上税導入粉砕・県知事選勝利」総決起集会を文化会館小ホールで開催。246名が参加し奥田再選と下川県議勝利に貢献。売上税阻止。(一斉地方選挙で自民大敗。マル優廃止法案を強行。共産党を除く税制協設置で大型間接税の火種をのこす。日本円急騰140円台に。)

画像7


88年(昭和63年)7月未組織人員600人

新大型間接税(消費税)導入反対闘争。闘争資金一人1000円。拡大月間で110名を拡大し委員長賞と書記長賞を獲得。(消費税強行可決・89年4月より導入。昭和天皇下血で祭ごと自粛)


90年(平成2年)7月末組織人員625人

個人業者初の消費税申告。「大幅賃金・単価引上げ、消費税廃止3.25総決起集会」バス7台300人で参加。6月16日 25周年記念「ファミリーフェスティバル」(大牟田文化会館大ホール)に1100人が集う。三池の伝統を受継ぐローカルセンター大牟田地区労連結成に参加。(ドイツ統一、大阪で花博、旭富士63代横綱に、NTT番号案内30円に)


92年(平成4年)7月末組織人員747人

筑後協議会で前進座「五重塔」公演。全建総連宣伝カーで賃金引上げ宣伝。(金さん銀さん100歳100歳、宮沢改造内閣、佐川急便事件、横綱北勝海引退、バルセロナ五輪・岩崎恭子金メダル、長嶋監督復帰)


95年(平成7年)7月末組織人員943人

県知事選挙に福建労前委員長の平川二男さんを推薦して選挙戦を闘う。(1月17日阪神淡路大震災・死者・行方不明6433人、オウムサリン事件、ネイブルランド開園)


96年(平成8年)7月末組織人員1015人

組織人員1000人に到達、三池炭鉱閉山闘争本部を設置、労働安全研修会を開催、消費税廃止角界連再建。(スペースシャトル若田さん搭乗、O157各地で猛威、橋本内閣発足、社民党、民主党、太陽党、相次いで結成)

画像8


97年(平成9年)7月末組織人員1036人

閉山反対大集会開催九州各県より300人が結集、三池炭鉱閉山。(消費税5%に消費不況、拓殖銀行、山一證券破綻、ふたりっこ子、たまごっち大流行)

画像9


98年(平成10年)7月末組織人員1048人

メーデーに組合員127人が参加、分会対抗ゴルフ大会、沖縄平和ツアー。(長野冬季オリンピック、ネイブルランド破綻、サッカーワールドカップ日本初出場、参議院選自民惨敗小渕内閣発足、タイタニック、横浜38年ぶりの日本一)


2000年(平成12年)7月末組織人員994人

分会単位の住宅デー8分会で開催、介護支援住宅センター発足、大牟田市住まい町づくりネットワークに参加。平和の集い大牟田開催。(初の南北朝鮮首脳会議、森内閣発足、介護保険導入、住宅の品質確保促進法施工、ユニクロ)

画像10


01年(平成13年)7月末組織人員979人

大牟田市「バリアフリー住宅士」要請講座開講に係る。産廃処理法で市と交渉、建設廃材の市焼却場での処分一部可に、仕事よこせで県への直接請願行動、福岡ドーム野球観戦ツアー。(狂牛病問題発生、省庁再編・1府12省庁へ、小泉内閣発足、イチロー大リーグで新人賞と最優秀賞獲得千と千尋の神隠し)

画像11画像12


04年(平成16年)7月末組織人員961人

大牟田市小規模工事登録制度実施、組織V字回復軌道に。(新潟中越地震発生)


05年(平成17年)7月末組織人員997人

南関町で住宅リフォーム助成の一部実施を議会で可決させる。助け合い共済発足、石綿(アスベスト)特別教育実施、秋の拡大月間で1000人の組織回復。(玄海地震発生、福建労創立50周年)

画像13


06年(平成18年)7月末組織人員1032人

40周年記念式典大牟田文化会館で開催(梅原司平コンサート、堺すすむショー)石綿障害予防規則に基づく特別教育を開催、311人が受講。(バルセロナ冬季オリンピックで荒川静香金メダル)

画像14画像15


08年(平成20年)7月末組織人員1097人(組織は最高の嶺を更新)

新支部会館を大牟田市の中心部で落成(300人収容の大会議室を備えた4階建て延べ1310㎡)アスベスト労災認定を大牟田支部で初めて勝ち取る。首都圏の仲間がアスベスト被害の賠償と政策の転換を求めて横浜と東京で相次いで提訴(福田内閣11か月で辞任、麻生内閣誕生。)

画像16画像17


09年(平成21年)7月末組織人員1073人

学校ウオッチングから街角ウオッチングに。さっそく危険個所が小規模工事登録者に発注。仕事よこせで県庁(福岡県・熊本県)直接請願行動(総選挙で民主党政権誕生・住宅エコポイント制度)


10年(平成22年)子供と親子で雪あそび(宮崎県五ヶ瀬ハイランド)

画像18


11年(平成23年)6月末組織人員1013人

9月に「九州建設アスベスト」として19人が提訴(大牟田から2人)東日本大震災発生ですぐに救援募金活動を展開、100万円を超える募金が集まる。

画像19


12年(平成24年)6月末組織人員997人

住宅リフォーム助成制度10年来の運動の末大牟田市で実施へ。11月県庁直接請願行動。(民主・自民・公明三党合意で消費税の5%から8%・10%へ2段階で引き上げ決定。

画像20


14年(平成26年)6月末組織人員1008人

4月消費税8%へ増税、50周年記念イベント「みんなで映画を見る会」120人参加、「みんなで登ろう御牧山」64人参加、11月・九州建設アスベスト東京に続き「国の責任を認める」判決。

画像23

画像21

画像22

ページトップへ戻る